昭和プロレス 熱戦譜

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2016/10/20 05:43:20 |
日本プロレスがギブアップした日である。1973年4月14日、力道山の街頭テレビ中継以来、安定した視聴率を確保してきたテレビソフトとしてお馴染みの「プロレス」にとって歴史的出来事があった。池上本門寺に、長谷川(芳の里)淳三代表、力道山夫人の百田敬子さん、大木金太郎以下、9名のレスラー達が集まり記者会見を開いた。日本プロレス興業が、この日で活動を停止すると発表されたのである。日本プロレス(以下日プロ)はもともと、力道山、三菱電機、正力松太郎という三者の関係によって、長く日本テレビで独占中継されてきた。それが69年4月、「ジャイアント馬場と坂口征二、インターナショナル選手権とワールドリーグは日本テレ...
2016/10/20 05:43:20 |
1970年11月11日。アメリカ・テキサス州ルボックのフェアパークスタジアムで、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級選手権に挑戦した坂口征二は、フルタイムドローの大善戦をした。そのときの話が「東京スポーツ」(2009年7月29日付)に書かれている。またしてもNWA世界王座奪取はならなかった。だが、うれしいこともある。世界王者・ドリーと堂々、引き分けたことでアマリロでの私の評価が急上昇したのだ。 それまで、1試合のファイトマネーが200ー300ドル度だったのが、1試合につき1000ドルまた会場の客入りによっては2000ドルぐらいまでハネ上がることもあった。 まだ「1ドル=360円」の時...
2016/10/20 05:43:20 |
イギリスのテームズテレビ社から要請され、イギリス遠征した吉村道明と坂口征二はさっそく試合を行った。試合は5分6ラウンド制。相手を投げ飛ばしたら、再び起きあがってくるまで攻撃してはならないというルールだった。坂口征二は、パット・ローチに勝利、吉村道明もドイツ系のハンス・ストレンジャーに反則勝ちした。
2016/10/20 05:43:20 |
「東京スポーツ」(2009年6月24日付)の坂口征二の連載によると、この日、イギリスのテームズテレビ社から「世界各国のレスラーを集めた『ナショナルデー国別プロレス大会』というイベントを開催するので、日本から代表選手を2人派遣して欲しい」と要請され、吉村道明と坂口征二が行くことになった。7月19日にたち、途中で何度も立ち寄りながらの25時間の長旅だったそうだ。
2016/10/20 05:43:20 |
東京タワーズは、またもタイトル奪取ならなかった。ハワイタッグ選手権リッパー・コリンズ/ジョニー・バレント(1-1)ジャイアント馬場/坂口征二引き分けであった
2016/10/20 05:43:20 |
ジャイアント馬場、坂口征二の東京タワーズが豪快に勝った。ハワイホノルルジャイアント馬場/坂口征二(1-0)タンク・モーガン/ハリー・藤原(ミスター・フジ)
2016/10/20 05:43:20 |
ホノルル・インターナショナルセンターハワイタッグ選手権・60分3本勝負リッパー・コリンズ/ジョニー・バレント(1-1)ジャイアント馬場/坂口征二写真は東京スポーツの坂口の連載より。メキシコ遠征に向かう星野勘太郎とマシオ駒を迎え、ロスでチャンピオンにもなったグレート小鹿と、ハワイからロスに来た坂口が、リトル・トーキョーで飲み明かしたという。
2016/10/20 05:43:20 |
ジャイアント馬場、坂口征二の「東京タワーズ」デビュー!タイトルには少々解説がいる。ジャイアント馬場、坂口征二のタッグ自体はアメリカでも日本でもすでにあったが、「東京タワーズ」という名称のもとでタッグを組んだ初試合ということだ。「東京スポーツ」(2009年5月27日付)に連載されている坂口の自伝「格闘半世紀 坂口征二」より引用しよう。 12月6日、デトロイトで"極道貴族"の異名を取るベテラン、ロード・アンソル・レイトンと戦い、フルスイングの水平チョップでKO勝ち。この試合をもって五大湖地区の契約期間を終えた私は、公私ともに世話になったカノンに別れを告げ、ロサンゼルス経由でハワイヘと向かった。 1...
2016/10/20 05:43:20 |
第11回ワールドリーグ戦が終了後、再びアメリカに戻った坂口征二ことビッグ・サカは、デトロイトで当時の看板レスラー兼プロモーターのザ・シークとこの日、USヘビー級選手権をかけて対戦することになった。もちろん、これはレスラーとして大変晴れがましい舞台だが、同時に不安もあったという。五大湖地区に限らず、当時のプロレス界は、その日の入場者数によって、選手のファイトマネーを変えるパーセンテージ制を採用するケースが多かった。 タイトルマッチを行ったとしても、挑戦者の人気が低く、話題性が薄く、観客を集められなければ、第1試合の前座選手からメーンイベンターまで、選手のファイトマネーは大幅にダウンするというシス...
2016/10/20 05:42:20 |
第11回ワールドリーグ戦前夜祭が1969年4月4日に行われた。中継は、選手の入場式から始まる。すでにリングには、参加選手が揃っている。真ん中には、例の大トロフィーが置かれている。参加選手は、日本陣営がジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎、吉村道明、坂口征二、星野勘太郎、山本小鉄、大熊元司、外国陣営がボボ・ブラジル、ゴリラ・モンスーン、ペッパー・ゴメス、クリス・マルコフ、メディコ2号、メディコ3号、ボビー・ダンカン、トム・アンドリュースで総勢16名。ただし、リングに上ってタスキを掛けた選手は18名。リーグ戦には参加しないが、来日外人とあたる「オープン参加」の中堅・若手選手もタスキを掛けて...